皆様、こんにちは鴻巣市のスマイルハウスです。
長らく掲載してきました 研修日記~2015秋~もいよいよ(やっとというか)最終回を迎えます。
今回は松下村塾より萩城下町へと向かいました…
1604年に毛利輝元が萩城を築いて以来、260年間にわたって36万石の城下町として栄えた萩市は日本有数の史跡都市となります。
散策すると重厚な武家屋敷、夏みかんがのぞく土塀やなまこ壁、鍵曲など、町並みには今なお城下町の風情が色濃く残っています。
江戸時代…と言うより少し幕末~明治の雰囲気がありました。
何となくタイムスリップした感じが味わえて慨深かったですね…
ん?
んんんっ??
マジのサムライおるやんけ!!!!! Σ(゚д゚lll)
あまりに突然の出来事にシャッタータイミングがズレました(笑)
散策すると まずは高杉晋作の生家
高杉晋作は幕末~維新を語る上で必ずといっていいほど名前が挙がる人物ですよね。
師匠は当然…
幕末暴走機関車ファンキー松陰です。
(前回、書いてて思ったのですが…松陰誰かに似ているなと思ったらアントニオ猪木に(行動的な面で)似てました。)
高杉晋作は松下村塾四天王の一人に数えられています。
27歳の短い生涯を送りましたが…
その破天荒な行動力は師匠譲りな人物のようです。
次に向かった先は
木戸孝允の生家です。
もう一つの名前が「桂小五郎」…
こちらの名前の方が馴染み深いかもしれませんね…
桂小五郎自体は松下村塾の塾生ではございませんが…
松陰から教えを受け幕末~明治維新の立役者となりました…
さてこの2名も語り始めたら面白い話ばかりなのですが…
まぁ、割愛します!
(なんでやねんっ)
なんで割愛したかと言うと…
実は今回の研修日記で1番書きたかった人物…
ぶっちゃけ前回の吉田松陰は
単なるフリ に過ぎません。
最終回に持ってきたい人物…
それは…
久坂玄瑞です。
※今回も超個人的見解を書きますので前回同様にご了承願います。
「花燃ゆ」で主人公「文」の旦那さんですね。
師匠は当然…
幕末暴走…以下略です。
久坂玄瑞は松下村塾四天王の1人で…
吉田松陰に最も期待された人物です。
若き日の久坂を松陰はこう評しています。
「久坂玄瑞は防長に於ける年少第一流の人物で、無論また天下の英才だ。」だと…
身長180cm程、甘いマスクに美声…
志士であり本職は医者であるという…
婚活女性から見たらヨダレが出る程の玉の輿です。
久坂は松下村塾の門下生となる前に、松陰と書状で激しいディベートを繰り返しています。
その議論が決着後しばらくして門下生となりました。
このディベート合戦…松陰は久坂の論理に対し厳しい批評、暴言を浴びせたと言われています。
松陰は久坂を試す為に 敢て厳しい言葉を浴びせたとも言われてます。
しかし私の好きなファンキー松陰は
久坂玄瑞の論理に対し、松陰は最初からディベートで最も有効な切り札を出すタイミングの為に、激しく煽り、久坂の理想のハードルを上げるだけ上げさせておいてからの~
松陰「そこまで言うなら断固として今すぐ実践して証明しなさいな…できなきゃただの妄言…」
松陰「はい!論破~!!」
みたいな感じです(笑)
このディベート…読むと大変面白いですよ。
しかし松陰は今後この才ある若者に期待を寄せます。
妹の「文」を久坂の嫁に出したように信頼が伺えます。
ただ、久坂はこの縁談を1度断っています。
理由は
文がブサ… 器量が良くなかったからだそうです。
さすが長州のハイスペック野郎です。
その後、観念したのか…文と結婚します…
実際は結婚生活は殆ど無く…手紙だけのやり取りが多かったみたいですね。
しかし、夫婦中はそれでも良かったみたいです。
個人的見解では文の初恋の人は久坂であったのではないかと勝手に思っています。
長身美声の高学歴イケメンで塾生内でトップの実力で兄の信頼が最も厚い久坂玄瑞
もう月刊マーガレットにでも出てきそうな男子。
漫画に出てくれば 間違いなく壁ドンしそうです。
何か文の想いのが強いイメージがあるんですよね…
(一説には久坂に愛人もいたとの話もあります)
しかし久坂玄瑞…このハイスペックながら… マイナーなイメージがあります。
ドラマなどでも、まぁ~脇役扱いの多いこと(笑)
幕末で私は1番好きな人物なんですけど…。
この久坂玄瑞は坂本竜馬にも大きな影響を与えた人物です。
かの薩長同盟も…
竜馬の日本の夜明けぜよ~!も
久坂玄瑞の影響が無ければ有り得なかったと思っています。
そして禁門の変にて久坂は自害し、25歳という若さで生涯を終えます。
多くは語りませんが…(長くなるので)
久坂は死の直前に竜馬に書状を送っています。
この書状が竜馬の脱藩を決意させました。
書状にこんな一文があります。
諸候たのむに足らず、公卿たのむに足らず、草莽志士糾合義挙のほかにはとても策これ無き事と、私ども同志うち申し合いおり候事に御座候。失敬ながら、尊藩(土佐藩)も弊藩(長州藩)も滅亡しても大義なれば苦しからず。 中略 ついては坂本君に御申談つかまつり候事ども、あつく御熟考下さるべく候。
解釈は諸説諸々ありますが…
「今は土佐だ、長州だと小さい中の争いをしてる場合じゃない。もっと大きな理想の元に1つにならねばならない…その為なら藩の枠など亡くなっても良いのではないか…自分は今、間違った争いの渦中にいるがもう争いを止める術はない、君は間違わないよう考えてくれ…」
と個人解釈をしています。
※超個人的見解ですので異論は認めます。
この無念の中、竜馬に託す久坂玄瑞が好きなんですよね。
最後に前回の吉田松陰…
実際は幕末の中で評価を受けた人物ではありませんでした。
むしろ 過激なテロリスト思想の持ち主と見られていました。
罪人扱いである松陰の思想を…
「尊王攘夷」のシンボルとして、祭り上げ 神格化までに昇華させたのは久坂玄瑞の功績です。
その意味でも明治維新最大の功労者の一人かもしれませんね。
さて、研修日記~2015秋~もこれにて終了です。
最後まで研修日記を読んで下さった皆様。
お付き合い…本当にありがとうございました。
m(_ _)m感謝
また機会があれば…
研修日記を掲載してみたいですね。
それでは皆様…
またいつか…